明治44年(1911) | 緑字は初代社長の日記から抜粋 赤字は歴史上の主な出来事 軽便鉄道法改正に伴い沿線(現新潟県上越市頸城区)有志の間で鉄道建設のプランが持ちあがる。 頸城村百間町の山田家は当時上越地方屈指の大地主で、当主辰治は数々の社会福祉事業に貢献した。また、大竹謙治は辰治の末弟で当時33才。兄辰治の物心両面の援助を背景に、鉄道による地域開発に取り組んだ。すなわち軽便鉄道創立委員会の委員長に謙治が就任、辰治は相談役になった。 |
明治45年(1912) | 大竹謙治他7名が発起人となり鉄道院へ敷設免許を申請。 |
4月10日 | 石川啄木没 |
7月10日 | 明治天皇崩御 大正と改元。 |
大正1年(1912) | |
8月10日 | 上越軽便鉄道に免許下附。総理大臣(西園寺公望侯爵)の免許は出願から5ヶ月のスピード決済であった。 第1回発起人会を開催。 |
10月10日 | 上越軽便鉄道を頸城鉄道に改称。 |
大正2年(1913) | |
1月 2日 | 株式募集に奔走。 |
1月12日 | 鉄道図面取揃い来着す。 大竹謙治は東奔西走して出資を募り3月にようやく4400株の満株に達した。しかし申込者の多くは払込金の代納を希望し、これを一括引き受けたのが山田辰治氏であった。その代納引受株は氏の持株とあわせ1800株以上と推定されており氏の支援なくして頸城鉄道の誕生はあり得ませんでした。 |
2月10日 | 尾崎行雄ら内閣不信任案提出。日比谷暴動、新聞社焼討ち事件起きる。 |
4月06日 | 頸城鉄道株式会社創立。 資本金22万円。 社章制定。 頸城村百間町に本社を置く。 |
4月06日 | 設立総会をイカヤ支店に於て午後1時より開会70余名出席。 議案一寫千里、午後1時40分閉会。 |
4月11日 | 会社設立登記完了。 |