本文へ移動

社史 No.6

緑字は初代社長の日記から抜粋 赤字は歴史上の主な出来事
昭和20年(1945)
2月00日
ヤルタ会談。。
3月10日
東京大空襲あり。主任会議を高田にて開く。
5月09日
バス料金大幅値上げ。平地6銭、山地8銭、平均2倍。
8月08日
飯山鉄道より外丸線バス譲受。
8月00日
広島、長崎に原爆投下。 ポツダム宣言受諾。
9月03日
復員収用につき役員会を開く。
9月17日
鉄道の総合監査を受ける。
11月00日
財閥解体令。
12月00日
GHQ農地改革を指令。     
昭和21年(1946)
5月13日
従業員組合を結成。
5月13日
本社に於いて労組結成式挙行の由。
7月30日
柿崎大火あり、車庫取り崩さる。
9月06日
第1回経営協議会を開催、飢餓突破資金が主題なり。
9月14日
組合代議員会に常務出席、飢餓突破資金12万円、生活保証5万円にて決定。
11月00日
日本国憲法公布。
昭和22年(1947)
1月17日
日本鉄道協会来直。表彰を受ける。
5月00日
日本国憲法施行。
6月13日
新潟鉄道業者会を虫生前崎館に開催。
6月28日
大給、小山両氏を同伴。本社にて頸鉄小唄の発表会。
10月22日
社歌を制定。
昭和23年(1948)
3月01日
経営協議会(35周年祝賀、240万円増資、粛正委員会設置の件)
4月06日
創立35周年記念日、酒料5千円受領。
6月01日
資本金320万円に。
8月02日
本社にて映画「頸城の秋」を見る。
8月29日
第1回頸鉄懇談会を開く(来客11名)。
11月20日
自分の銅像(注・立像)除幕式を本社で催す。
昭和24年(1949)
昭和24年頃のバス
昭和24年頃のバス
3月00日
ドッジライン発表。
7月00日
下山事件起こる。
8月00日
松川事件起こる。警察予備隊令公布。
12月16日
資本金800万円に。
昭和25年(1950)
1月11日
団体貸切事業を兼営。
2月11日
資本金1,100万円に。
4月15日
観桜会満開(高田事務所1日収入20万円以上、新記録)。
6月00日
朝鮮動乱始まる。
7月10日
経協、停年制を新設す。
11月16日
経協、失業補助を受けることに決す。解雇なしの伝統を破る。
12月17日
新潟日報紙上に「高田~十日町間の国営バス計画」の記事掲載(中越に於ける国営バス反対陳情中。)
昭和26年(1951)
2月01日
糸魚川にて富山地鉄と協議、市振にて乗継ぎの約束。
昭和27年(1952)
昭和27年頃のバス
昭和27年頃のバス
6月15日
ヂーゼル機関車試運転、試乗。
11月17日
商工会議所に於て第1回バスガイドコンクールを開く。
12月26日
この年次々と増資を行い6,000万円に。
昭和28年(1953)
1月22日
初めて雪上自動車に乗る。
2月00日
NHKテレビ放送開始。
4月02日
資本金6,500万円に。
4月24日
バス16両のキャラバンに同行。コースは明治ー柿崎ー直江津ー高田。
バスキャラバン
バスキャラバン
展望バス
新黒井整備工場改装の展望車
9月11日
新潟にて県下運転者競技会開催され、当社が1、2等を獲得す。
10月15日
創立40周年記念式典挙行。
10月15日
午後、40周年祝賀会を宇喜世に催す。招待者110名。
昭和29年(1954)
昭和29年頃のバス
6月01日
陸運開局5周年記念式で業界功労者として表彰される。
6月28日
ニューエンパイヤーにて新フオード乗用車を引取り(167万円)。
8月19日
糸魚川営業所全焼、火元は当社に非ずの確信。
8月21日
主催の第1回上越高校野球選手権大会を開き始球式を行う。
12月04日
糸魚川へ行き火災後の新築営業所を見分す。見事なり。
12月01日
資本金1億円に。
12月18日
松本電鉄を訪問。大町~糸魚川間のバス運転の希望を述べる。
頸城自動車株式会社
〒942-8508
新潟県上越市石橋2丁目12-52
TEL.025-543-3781
FAX.025-544-8338
TOPへ戻る