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社史 No.5

緑字は初代社長の日記から抜粋 赤字は歴史上の主な出来事
昭和11年(1936)
2月00日
2.26事件。
5月26日
宮口線買収の協議ととのい手金を授受す。これでバス網やや完成と高田事務所の基礎確立す。
6月19日
宮口線社員13名を自宅に招く。
9月24日
高田車庫に地下タンク付ガソリンスタンドを設置。
10月08日
高田駅前事務所完成。
12月30日
懸賞にての会社経営策募集の宣伝ビラ草案。
昭和12年(1937)
1月14日
鉄道でロータリー式排雪車を自社製作。
1月15日
新工夫の鉄道ロータリーの威力を見、賞金100円を石野君外一同に給与す。
2月25日
梁瀬車庫にてバス3台、3,300円にて購入。
7月00日
日華事変勃発。
8月01日
高田~松之山間直通運転を開始。
11月00日
日独伊三国防共協定成立。
12月00日
南京占領。
フォード社製バス
昭和12年当時「コンマ・シャル」と呼ばれて人気の
高かったフォード社製バス。
定員20人以上のロング・シャーシー車。
トラックは軍用車として供出され、物資の運搬車両が
激減。荷物も運んだ戦時中のバス。
昭和13年(1938)
3月06日
戦地への慰問文募集の児童宛宣伝ビラ35,000枚の配布を開始。
4月06日
創立25周年。乗務員読本刊行。
4月11日
本誓寺国防婦人会員100余名来集。総数1100個の慰問袋を作成、直ちに郷土部隊に発送す。
5月00日
国家総動員法施行。
5月01日
ガソリン統制、本日より切符制となる。
12月24日
ボーナス分配す。月給者10割、乗務員8割、日給者5割。今日まで類例なきものなり。
昭和14年(1939)
5月00日
ノモンハン事件。
5月23日
木炭自動車第1号出来、試乗す。
9月00日
ドイツがポーランド侵攻。
薪車
薪車
木炭者
木炭車
ガソリンは物資統制の一番にあげられ規制が強化されていった。
そこで考案されたのが「薪車」「木炭車」であった。威勢の良い煙とはうらはらに馬力は最低だった。
昭和15年(1940)
8月17日
双葉山、羽黒山一行大相撲あり、傷病兵一同を招待す。
9月00日
日独伊三国軍事同盟条約調印。
10月10日
東頸城地区ハイヤー16業者の統合を完了。
11月02日
東頸西部地区トラック17業者を統合。翌年1月23日に譲渡許可受け、東頸トラック㈱として物資輸送に挺身。
東頸トラック
日中戦争が拡大すると統制がしだいに強化され、
小規模トラック会社の一本化が進められた。
昭和16年(1941)
3月01日
資本金40万円に。
4月00日
日ソ中立条約調印。
7月26日
木炭会社設立発起人会に出席。
8月05日
役員会で本社新築を決定。
12月00日
真珠湾攻撃し太平洋戦争に突入。
昭和17年(1942)
4月17日
総会開催。定款改正、副社長、専務を決める。
6月00日
ミッドウエー海戦。
9月07日
バス組合会に出席。高田バスとの合併は必至。
車体のマークが塗り替えられたバス
改められた帽章
昭和17年9月、大政翼賛会の敵性一掃運動に呼応して政府は交通機関における横文字抹消を指示してきた。車体の社章『○にK』のマークも『○にケ』に改めざるを得なかった。
昭和18年(1943)
5月01日
高田ハイヤー営業停止、遺憾の極み。
9月07日
黄バス(高田自動車)合同契約書作成、夜調印済む。
10月00日
上越地区のバス統合を完了。
10月16日
黄バス社員を招き当社の社風を説示す。
昭和19年(1944)
3月08日
高田地区のハイヤー事業廃止。
3月08日
ハイヤー廃業許可申請書を提出。焦慮のハイヤー問題漸く解決をみる。
3月17日
資本金80万円に。
5月05日
社名を頸城鉄道自動車株式会社と改称。
女性運転士登場
つぎつぎと男子運転士が応召し、 ドライバー不足
をきたした。
この解消策として女性運転士の 養成が行われた。
8月00日
女性運転士第1号が誕生、運転業務に従事する。
8月17日
直江津タクシー合同につき総会を開き可決。
9月05日
女子運転士(石田イネ子)の運転を見、成功に驚く。
頸城自動車株式会社
〒942-8508
新潟県上越市石橋2丁目12-52
TEL.025-543-3781
FAX.025-544-8338
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