鉄道資料bP
頸城鉄道の夜明け
明治44年(1911年)の軽便鉄道法及び同補助法の改正に伴い、直江津と浦川原を 結ぶ上越軽便鉄道敷設の計画が沿線有志の間で持ち上がったのは同年秋のこと。推進者は 頸城村の山田辰治と大竹謙治の両名であった。時を同じくして魚沼鉄道(明治44年 来 迎寺〜小千谷間開業 社長岡田正平)も上越軽便鉄道案にほぼ並行する新線計画をたてた ので期せずして両者の競願となった。
鉄道敷設請願を報ずる高田日報(明治45年3月5日)  現在、大瀁村・明治村は合併し上越市頸城区となっている。
 
山田・大竹兄弟のスクラム
頸城村百間町の山田家は当時上越地方屈指の大地主で、当主辰治は個人で養老年金や奨学金制度を設けるなど数々の社会福祉事業に貢献した。また、大竹謙治は辰治の末弟で 頸城村下増田の大竹家の養子となり、当時33歳で中・下増田の112町歩の耕地整理 を断行し、続いて兄辰治の物心両面の援助を背景に鉄道による地域開発に取り組んだ。 すなわち軽便鉄道創立委員会の委員長に謙治が就任、辰治は相談役になった。
     
山田辰治氏(大正2年)       大竹謙治氏(明治45年)
 
地元の協議
鉄道建設に係る地元の協議を伝える新聞報道


頸城自動車のトップページへ 鉄道資料目次へ戻る 鉄道資料2へ